多色礼讃

唯一無二の大したことないことを胸に

自分の話を聞いてほしい人々【友人の幸せ話は安易に聞いてはならぬ】

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こんにちは、ルレムラ(@luremura)です。


前回の、派遣社員時代の社員さんの「会話泥棒」の話に引き続いて


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「誰だって人の話を聞くよりも自分の話を聞いてほしい」シリーズ第四弾です。


そう、自分があまり幸せを感じられてないときって、人の幸せがやたらとまぶしく映りませんか?


で、うまくいっている人の話を聞いてしまって、自分と比べて落ちこんでしまったり、あるいは嫉妬心に駆られて、そんな自分に驚いたり…。


今回は、そんな「幸福感が低いときは友人の幸せ話を聞いてはいけないとわかった」ときのお話です。




身内に不幸があり、行きたかったライブに行けなくなった

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2018年11月の話ですが、私は念願だった宇多田ヒカルのライブに行けることになっていました。


が、この時にですね、ちょうど身内に不幸が起こります。


結局、タイミング悪くライブの日がお通夜とお葬式と重なってしまい、泣く泣くキャンセルするに至りました。


当時のTwitterの様子。

からの、

これ!(このときQueenのBohemian Rhapsodyが絶賛公開中だったのよ!)


(ちなみに、私は宇多田ヒカルが好きすぎて、ネットで自分以外の人が宇多田ヒカルについて語っているのを読むと、嫉妬すら生まれる始末 笑 


なので、YouTubeのコメント欄とか読んでいると動悸がするので、好きすぎてむしろネットで視れないという人間です)


この亡くなった身内に対して、私の中で深い後悔が残りました。


正確には、「『きっと深い後悔が残る』とわかっていたにもかかわらず、何もしなかったことに対する申し訳ない気持ち」です。


しかも念願だったアーティストのライブと、そんな身内のお通夜とお葬式が重なってしまい、言葉にできない思いが生まれました。(決して、うらみではありませんのであしからず。)


身内の不幸、ライブのキャンセルと、さらに私には、あまり仕事が成功していないことから生まれる「あまり幸福を感じていない」日常への不幸せ感への下地がありました。


なので、「数年に何回あるかわからない大きな幸福を、取り逃がしてしまった感」が、のしかかったのですね。


宇多田のライブに当たったとき、「日頃のさほど幸福を感じていない感を、ライブで挽回できる」!と思っていたくらいでしたから。


結局、私はこのときの気持ちの整理のつけかたとして、


「宇多田ヒカルは存命だし、私もまだ生きているのだから、またいつかライブに行ける可能性がある」と思うことにしたのです。(だって、フレディ(Queenの)の例があるしね。)


しかしながら、その部分はそう整理できても、「『さほど幸福を感じていない』感が上塗りされた感」は拭えず、残ったままになりました。


この件があった数日後、とある友人とカフェで会うことになります。

普段からよく話をする友人と会う

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ここで今回の話の主人公である友人について、仮に「りんごさん」と呼ぶことにします。(理由は椎名林檎が好きだから)

りんごさんの特徴を羅列するとこんな感じ。


  • よくいえばおおらか、悪くいえば鈍感
  • よく変な男性に好かれる
  • よく変なトラブルに巻き込まれる
  • 問題のある人とでも付き合える(しかし、いつの間にか利用されていることが多い)
  • 明るい
  • よくしゃべる
  • 辛抱強い
  • ムードメイカー
  • 体力がある
  • 純粋
  • アーティスト肌
  • 優しい
  • 短気な人からよく怒られる


このりんごさん、「周囲に自分の結界を張っていないために、変な人まで無意識に集めてしまう」人です。


ただ、本人はあくまで無意識ですし、変な人にうまく対処できないために、人間関係で変なトラブルに巻き込まれることも多いという…


ある意味皮肉なのですが、結界を張っていないがために、私のような神経質な人間でも付き合えるのが、このりんごさんの魅力なのです。


さてりんごさん、気付けば30年近く前から知っている友人でして、会えばお互いに長時間話をするほどの仲。


私の数少ない友人の中で、「最も私の話をちゃんと聞いてくれる人」なのです。


この日、りんごさんには事の経緯をLINEで伝えており、カフェで会うことになりました。

友人には事前に事の経緯を伝えていたが…

りんごさんには身内が亡くなる前から、身内のことで色々と話を聞いてもらってましたし、宇多田ヒカルのライブに行く話もしておりました。


で、今回の件についてカフェでお話をするとなったとき、今まで話を聞いてもらっていたし、ある程度の気持ちの整理がついていたので、「もう大丈夫だよ」と伝えたのですね。


生きていればまたライブに行けるさ、と。


しかし、このとき私にとってやっかいだったのが、友人りんごさんの「明るい話題」だったのです。

友人も「自分の話を聞いてほしい」要素が強いことを忘れていた

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私はこのとき、りんごさんに「今回の件はひとまず大丈夫。りんごさんの方は最近大丈夫?」と彼女の近況を尋ねます。


というのも、りんごさんは仕事に恋にと、変動の時期にあったからです。


ちなみに、りんごさんには凡人には想像もつかないような、斜め上の出来事がよく起こる…。


その斜め上の出来事を話してくれるのが、りんごさんと私との通例行事になっているのですね。


で、その日、りんごさんから聞いた仕事と恋の話は、「完全に順調」状態だったのです。


「想っていた人と両想いになった。どこそこのお店に二人で行った。」

「上司のこういうところに困っていたけど、要望をハッキリ伝えられた。」


など、この日、長時間にわたって話してくれたのです。


りんごさんの幸せ話を一方的に聞く側になった私。


このとき、私の中でこんな思いが湧き起こっていました。

  • 「一応、不幸があった人が目の前にいるのだから、ちょっと話の内容を気遣ってほしい」という気持ち
  • 自分の不幸感が増しているときって、身近な人の幸せ話ってつらい
  • 無意識の「私の話、聞いて!」ってこんなにしんどいのか

私は、こんな自分の感情に驚いていました。


私は基本、友人の幸せを祝福することに、何の抵抗もありませんし、むしろ嬉しいと感じる方。


ところが、ところがですよ、
そんな自分が一番仲のいい(と思っている)友人の幸せな話にこんな感情を抱くなんて…!


はじめてのことでショックを受ける私。


いや、もしかすると今までにも友人にそんな感情を抱いたことがあったのかもしれないのですが、ハッキリとこんなに大きく認識したのは、はじめてでした。


さらにこのとき自分でも良くなかったと思ったのが、


「私がこんな感情を抱いていてしまったことに気付かせてはいけない」のに加え、「どんな話なんだろう?」と、元々持つ好奇心で、さらにりんごさんの話を促してしまったこと。


結局この日、りんごさんの幸せな話に耳を傾け続けて、モヤモヤした気持ちのまま帰路についたのでした。

友人に「『さほど幸福を感じていない』感が上塗りされた感」を聞いてもらいたかった

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私は、この件の後、りんごさんに何を聞いてもらいたかったのだろうとあらためて考えました。


それは私の「『さほど幸福を感じていない』感が上塗りされた感」でした。


「日頃から埋めきれていない、慢性的な私の心の穴」「日頃の足りていない感を挽回できるチャンスを失った私の愚痴」だったのです。


私は、「そんな愚痴を長時間にわたってグチグチと話しても意味ない」とわかっているのですが、話をしていてふと顔を出すことがある。


それも意識しているのではなく、無意識に。


そんなとき、私は、「そこを他人に聞いてほしいんだな」と感じます。


今回、結局、不幸せ感がつのっているときに友人の幸せ話に耳を傾けることになった私。

  
「さほど幸福を感じていない」感が、上塗りされていると、必要以上に相手の幸せ話が眩しく映ってしまうのですね

結論「幸福感が低いとき、幸せな人の話を聞くのはしんどい」


今回の友人のりんごさんの件で分かったのは、


「幸福感が低いとき、幸せな人の話を聞くのはしんどい」
「自分が話を聞くのが嫌だと感じているときは、相手に伝えないといけない」
「どんなに大事な友人でも、嫉妬心を抱くことがある」


でした。


そんな自分にショックを受けつつも、「女の友情は脆い」の意味が、ちょっとわかってしまった…。


さて、友人りんごさんへの複雑な気持ち、私が現在どんな対処をしているのかも、次回お伝えしていきたいと思います!


次の「友人への嫉妬の対処方法」はこちら。
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他にもある!「誰だって人の話を聞くよりも自分の話を聞いてほしい」シリーズの「相談するはずが聞き役になってた話」はこちら。
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「縁を切った友人の話」はこちら。
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